般若心経

2025年9月1日 椿 耕太郎



般若心経は有名なお経なので色々な本などで多くの解釈が書かれている。私は仏教の専門家でも特別に修行をしたわけではないが、私が般若心経で心が楽に生きていけるようになったので、それを少しでも伝えられたらと思う。 私の中でも捉え方が変わることがあるが、今の時点での私なりの解釈を書いていく。なんとなくでも意味を感じてもらえるとうれしい。


般若心経の本文はウィキソースのテキストデータから引用した。

ウィキソース, 般若心経, 玄奘訳テキスト

ウィキソースのデータは下記の文献をテキスト化している。

小林正盛 編, 真言宗聖典, 森江書店, 大正15 ,p. 114. 国立国会図書館デジタルコレクション

引用文は緑の点線で囲っている。



般若心経に多く出てくる「空」をどう捉えるか、で全体の受け取り方が大きく変わってくるかと思うので、「空」を表していると思える場所から始めよう。


真ん中当たりよりやや後半にある次の箇所が「空」をよく表していると思う。

心無罜礙 無罜礙故 無有恐怖

心に引っ掛かるものこだわっているものがない。何にもこだわっていないから、恐怖、嫌な気持ちにもならない。ここで表している心の状態が「空」を表していると捉えている。


禅問答をまとめた「無門観」の十九 平常是道にある次の箇所がとても好きで、同じことを表していると思う。

春有百花秋有月
夏有涼風冬有雪
若無閑事挂心頭
便是人間好時節

春に百花有り秋に月有り、
夏に涼風有り冬に雪有り。
若し閑事の心頭に挂くる無くんば、
便ち是れ人間の好時節。

花や風や月や雪を楽しめる軽やかな心持ちが「空」と捉える。


上記の「無門観」の文は下記の文献から引用した。

無門関, 西村恵信訳注, p. 88, 岩波書店, 1994.

このように「空」を捉えて、本文の頭から私に引っ掛かったところを挙げていこう。

観自在菩薩 行深般若波羅密多時

観世音菩薩が般若波羅密多になるとき。


「般若波羅密多」になっているというのは、悟りを開いていること。先に書いた「心無罜礙」、心に何も引っ掛かっていない状態、何にも拘りすぎていない状態だと思っている。


照見五蘊皆空 度一切苦厄

見えるもの、苦しいもの、全て空である


ここの「空」も先ほどの「般若波羅密多」と同じように、何も引っ掛かっていない、何にも拘りすぎていない状態だととらえている。



有名な空と色について。

色不異空 空不異色 色即是空 空即是色

世の中のもの全て「空」と同じです。大事なことなので四回言います。


世の中のもの全て拘る必要のあるものなんてないんですよ。何かにとらわれすぎて、そのことばかり考えることは良くないから、とらわれない空のような心でいましょう。


坐禅をしていると心が何にもとらわれない、私の解釈するところの「空」に近くなることがある。でも坐禅を始めたばかりだと、坐禅を終わると「空」も終わって、こころは色々ととらわれた「色」に戻ってしまう。坐禅中に「色不異空~」が浮かんだとき、日常の「色」が「空」になったときが「般若波羅密多」になれたときなのかと、少し悟りに近づいた気分になった。


ここの「色」と「空」を物理学での対消滅、対生成における物質とエネルギーになぞらえられていることがある。私は初めこの印象が強く、「色」と「空」は等価なもので互いに変化できるもの、ととらえていた。今は、変化するのではなく日常の「色」が「空」になる、「色」と「空」は完全に重なるまったく同じになるものであるととらえている。



色々と空なものがありますよ、と続いていく。

是諸法空相

すべてのもろもろも空である。


不生不滅 不垢不浄 不増不減

生まれることもなく滅びることもなく、汚いこともきれいなこともなく、増えても減ってもとらわれない。


生まれたり滅びたり、きれいだったり汚かったり、増えたり減ったり、すべて気に留めたり、とらわれる必要はない。この考え方はできていない。欲しいもの、お金など増やしたいと思い続けてしまうし、減れば悲しく思い続けてしまう。


是故空中 無色無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 無眼界 乃至無意識界

見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触る、思う、は全て空で、こだわることではない。


感じたことは感じたことで、すぐ受け流す。


無無明 亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽

無明にこだわることはない。尽きることなく出てくるものではあるけど、こだわることなく切り替えをしよう。老いや死にもこだわることはない。逃げることができないものだけれど、こだわることなくすごそう。


いつまでも嫌な気分がでてくるけど、出てくることはしかたない。出たあとにこだわらないことが大事である。 少し考え方がとらわれないように変わったと思っても、すぐにまた嫌なことにとらわれてしまう。でも、それは仕方ない尽きることがないことで、こだわらず気分を変えればいい。

気分が良いときもあれば、気分が悪いときもある。気分が悪いときは嫌な考えにとらわれやすいくて、なんでこんな嫌な考えばかり出てくるのかと暗い気持ちになるけど、「無無明尽」で尽きることのない出てくるのが当たり前のものだから、気持ちをすぐ切り替えて「空」に持って行くことが大事だと思えば、気は楽になる。


老いること死ぬことももちろん尽きることはない、誰も老いること死ぬことから逃れることはできない。でも、そのことにこだわって嫌な気分になるよりは、こだわらずに過ごせばいい。

無苦集滅道

苦集滅道にもこだわらない。


仏教の教えにもとらわれすぎなくてもいい。



一番始めに出したところがここ。

心無罜礙 無罜礙故 無有恐怖

心に引っ掛かるものこだわっているものがない。何にもこだわっていないから、恐怖、嫌な気持ちにもならない。


ここまでが今のところ捉え切れたところ。 色々なものにとらわれないで、心の軽い、良い気分で生きていくための、心構え、方法が書かれている、素晴らしい文章だと思う。 私の解釈で、毎日のことに色々ととらわれてしまっている人の心が少しでも軽くなる手助けができれば嬉しい。



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