原文・書き下し文の前の数字と現代語訳の前の数字が異なるため違うこともあるが、原文・書き下し文に対応する現代語訳をすぐ下に載せている。引用文は緑の点線で囲っている。
2022年7月19日 椿 耕太郎
全体を通して何度も出てくるのが「自分がされたくないことは人にしない」。五之十二、十二之二、十五之二三で繰り返して自分がされたくないことを人にしないと出てくる。十五之二三ではそれが恕であるとしている。六之二八は少し表現が変わって、自分がして欲しいことを人にもする、となっているが近い意味であろう。
"人"がされたくないことではなく、"自分"がされたくないこと、となっている。人ごととしてされたくないことを考えることと、自分をその人の立場にあると置いてみてからされたくないことを考えるのでは全く違う。他の人を思うときは、その人の立場に立って考えるようにという意味もとれる。自分と他人を区別せず同じように見えるようになれれば実行できるだろう。他人として自分を見るのか、自分として他人を見るのか、どちらも簡単にできることではない。
人がされたくないこと、を勝手に考えて行うと、自己満足や偽善になりかねない。
五之十二
子貢曰、「我不欲人之加諸我也、吾亦欲無加諸人。」子曰、「賜也、非爾所及也。」
子貢曰く、我人の諸を我に加ふることを欲せざるなり。吾も亦諸を人に加ふること無からむと欲むと。子曰く、賜や、爾の及ぶ所に非ざるなり。
一一(一〇三)
子貢がいった。――
「私は、自分が人からされたくないことは、自分もまた人に対してしたくないと思つています。」
すると先師がいわれた。――
「賜 よ、それはまだまだお前に出来ることではない。」
十二之二
仲弓問「仁」。子曰、「出門如見大賓、使民如承大祭、己所不欲、勿施於人。在邦無怨、在家無怨。」仲弓曰、「雍雖不敏、請事斯語矣。」
仲弓仁を問ふ。子曰く、門を出でては大賓を見るが如く、民を使ふには大祭に承るが如く、己の欲せざる所、人に施すこと勿れ。邦に在つても怨無く、家に在つても怨無し。仲弓曰く、雍不敏と雖も、請ふ斯の語を事とせむ。
二(二八〇)
仲弓が仁についてたずねた。先師はこたえられた。――
「門を出て社会の人と交る時には、地位の高下を問わず、貴賓にまみえるように敬虔であるがいい。人民に義務を課する場合には、天地宋廟の神々を祭る時のように、恐懼するがいい。自分が人にされたくないことを、人に対して行ってはならない。もしそれだけのことが出来たら、国に仕えても、家にあっても、平和を楽しむことが出来るだろう。
仲弓がいった。――
「まことにいたらぬ者でございますが、お示しのことを一生の守りにいたしたいと存じます。」
十五之二三
子貢問曰、「有一言而可以終身行之者乎。」子曰、「其恕乎。己所不欲、勿施於人。」
子貢問うて曰く、一言にして以て終身之を行ふ可き者ありや。子曰く、其れ恕か。己の欲せざる所、人に施す勿れ。
二三(四〇二)
子貢がたずねた。――
「ただ一言で生涯の行為を律すべき言葉がございましょうか。」
先師がこたえられた。――
「それは恕 だろうかな。自分にされたくないことを人に対して行わない、というのがそれだ。」
六之二八
子貢曰、「如有博施於民、而能濟衆、何如。可謂仁乎。」子曰、「何事於仁、必也聖乎。堯舜其猶病諸。夫仁者、己欲立而立人、己欲達而達人。能近取譬、可謂仁之方也已。」
子貢曰く、如し博く民に施して、能く衆を濟ふことあらば如何。仁と謂ふ可きか。子曰く、何ぞ仁を事とせむ必ずや聖か。堯舜も其れ猶ほ諸を病めり。夫れ仁者は、己立たむと欲して人を立て、己達せむと欲して人を達す。能く近く譬を取るは、仁の方と謂ふべきのみ。
二八(一四七)
子貢が先師にたずねていった。――
「もしひろく恵みをほどこして民衆を救うことが出来ましたら、いかがでしょう。そういう人なら仁者といえましょうか。」
先師がこたえられた。――
「それが出来たら仁者どころではない。それこそ聖人の名に値するであろう。堯や舜のような聖天子でさえ、それには心労をされたのだ。いったい仁というのは、何もそう大げさな事業をやることではない。自分の身を立てたいと思えば人の身も立ててやる、自分が伸びたいと思えば人も伸ばしてやる、つまり、自分の心を推して他人のことを考えてやる、ただそれだけのことだ。それだけのことを日常生活の実践にうつして行くのが仁の具体化なのだ。」