論語

原文・書き下し文の前の数字と現代語訳の前の数字が異なるため違うこともあるが、原文・書き下し文に対応する現代語訳をすぐ下に載せている。引用文は緑の点線で囲っている。



教える、教わる

2024年2月22日 椿 耕太郎

教えること、教わることについてもいろいろな記述がある。教える側が自分の知っていることがわかっているか。相手は教えたことを受け取れるのか。教える側と教わる側は内容とやる気が合っているのか。



自分が何を知っているか、自分を過大評価しない

教える側の気をつけることとして、一之四と二之十七では自分の知識について、過大評価せず日々確認することを求めている。自分が何を知っているかより、何を知らないかを自覚することの方がずっと難しい。

一之四の三番目で、知らないことを、さも詳しいかのように人に教えていないかどうか、を問われている。簡単そうで難しい。自分が知っているつもりでも誤った知識の可能性もあるので、日々自分の知識を確認する。

二之十七のように、分かっているつもりでも、どこまで分かっているか、どこが分かっていないか、自分が何を知っているかを知ることは難しい。分かっていないことは人に指摘されるまで自覚することが難しい。指摘されて、分かっていても認められない、認めない人もいる。知らないことがあることを認められない人は知っているとは言えない。

一之四

一之四
曾子曰、「吾日三省吾身、爲人謀、而不忠乎。與朋友交、而不信乎。傳、不習乎。」

曾子そうしいはく、を三せいす、ひとためはかつてちうならざるか、朋友ほういうまじはりてしんならざるか、ならはざるをつたふるか。
四(四)
 そう先生がいわれた。――
「私は、毎日、つぎの三つのことについて反省することにしている。その第一は、人のために謀つてやるのに全力をつくさなかつたのではないか、ということであり、その第二は、友人との交りにおいて信義にそむくことはなかつたか、ということであり、そしてその第三は、自分でまだ実践出来るほど身についていないことを人に伝えているのではないか、ということである。」

○ 曾子==孔子の門人、姓は曾(そう)、名は参(しん)、あざ名は子輿(しよ)。十六歳で孔子の門に入り、門人中の最年少者であつたが、篤学篤行の人として深く孔子に愛せられた。孔子の思想を後世に伝えた人としては門人中随一である。
○ 論語の中で、特に有子と曾子とが「子」という尊称を附して呼ばれているところから、その編述がこの二人に師事した人たちによつて行われたのではないか、という説がある。
○ 原文の最後の句「伝不習乎」を「伝えられて習わざるか」と読み、「教わつたことを復習実践しない」という意味に解する説もある。

二之十七

二之十七
子曰、「由、誨女知之乎。知之爲知之、不知爲不知、是知也。」

いはく、ゆうなんぢこれることををしへんか。これるをこれるとし、らざるをらずとせよ、れるなり。

一七(三三)
 先師がいわれた。――
ゆうよ、お前に『知る』ということはどういうことか、教えてあげよう。知っていることは知っている、知らないことは知らないとして、すなおな態度になる。それが知るということになるのだ。」
○ 由==孔子の門人。姓は仲(ちゆう)、字は子路(しろ)、また季路(きろ)ともいう。孔門第一の勇者で正直者ではあるが、自信が強く、勝気で独断的なところもあつたらしい。


教えたことを受け取れる人、受け取れない人

九之二四では、何を言っても無駄な人として、話を表面的に聞くだけで何も改めようとしない人をあげている。

一五之一五では、自分から興味を持って動いたり調べたりしない人にはどうすることもできないとしている。 自分から動く気のない者に対してはどうしようもない。

九之二四

九之二四
子曰、「法語之言、能無從乎。改之爲貴。巽與之言、能無說乎。繹之爲貴。說而不繹、從而不改、吾末如之何也已矣。」

いはく、法語はふごげんしたがふことからむや、あらたむるをたつとしとす、巽與そんよげんよろこぶことからむや、たづぬるをたつとしとす。よろこびてたづねず、したがつてあらためざるは、われこれ如何いかんともするきのみ。

二三(二二八)
 先師がいわれた。――
「正面切って道理を説かれると、誰でもその場はなるほどとうなずかざるを得ない。だが大事なのは過を改めることだ。やさしく婉曲に注意してもらうと、誰でも気持よくそれに耳を傾けることが出来る。だが、大事なのは、その真意のあるところをよく考えて見ることだ。いい気になって真意を考えて見ようともせず、表面だけ従って過を改めようとしない人は、私には全く手のつけようがない。」

十五之十五

十五之十五
子曰、「不曰『如之何、如之何』者、吾末如之何也已矣。」

いはく、これ如何いかにせむ、これ如何いかにせむとはざるものは、われこれ如何いかにともするなきのみ。

一五(三九四)
 先師がいわれた。――
「どうしたらいいか、どうしたらいいか、と常に自らに問わないような人は、私もどうしたらいいかわからない。」


内容とやる気

教える側と教わる側で、内容とやる気ともにバランスがとれていなければいけない。

六之十九にあるように、教える内容について、学ぶ準備ができていない相手に難しいことを教えても対応しきれない。辛辣な気もするが、相手に合わせて相手が理解できるところから教えていきなさいということだろう。

七之八では、教えるには相手の段階に合わせた時機が大事であるとしている。教えすぎない。やる気がなく理解できない相手には高度なことを教えてもしようがない。

六之十九

六之十九
子曰、「中人以上、可以語上也。中人以下、不可以語上也。」

いはく、中人ちうじん以上いじやうには、もつかみかたきなり。中人ちうじん以下いかには、もつかみかたからざるなり。
一九(一三八)
 先師がいわれた。――
「中以上の学徒には高遠精深な哲理を説いてもいいが、中以下の学徒にはそれを説くべきではない。」

七之八

七之八
子曰、「不憤不啟。不悱不發。舉一隅不以三隅反、則不復也。」

いはく、ふんせざればけいせず、せざればはつせず、一ぐうぐるに三ぐうもつはんせざれば、すなはふたたびせざるなり。
八(一五五)
 先師がいわれた。――
「私は、教えを乞う者が、先ず自分で道理を考え、その理解に苦しんで歯がみをするほどにならなければ、解決の糸口をつけてやらない。また、説明に苦しんで口をゆがめるほどにならなければ、表現の手引を与えてやらない。むろん私は、道理の一隅ぐらいは示してやることもある。しかし、その一隅から、あとの三隅を自分で研究するようでなくては、二度とくりかえして教えようとは思わない。」
○ この一章は、孔子の啓発教育を端的に物語る有名な言葉である。


一つ前では、理解できない相手には教えないとしたが、七之二八と九之八にあるように、教わる気があれば、素性がどうであれ、知識がなくても、誰でも受け入れる。 教育者の心構えとしてこのように対応できると理想的だろう。学校などの教育機関ではやる気のないものを放っておくわけにもいかないのが難しいところであるが。

七之二八

七之二八
互鄕難與言。童子見、門人惑。子曰、「與其進也、不與其退也。唯何甚。人潔己以進、與其潔也、不保其往也。」

互鄕ごきやうともがたし。童子どうじまみゆ。門人もんじんまどふ。いはく、すすむにくみせん、退しりぞくにくみせず、唯?ただなんはなはだしき。ひとおのれいさぎよくしてもつすすまば、いさぎよきをくみせん、わうたもたず。
二八(一七五)
 互郷ごきょうという村の人たちは、お話にならないほど風俗が悪かった。ところがその村の一少年が先師に入門をお願いして許されたので、門人たちは先師の真意を疑った。すると、先師はいわれた。――
「せっかく道を求めてやって来たのだから、喜んで迎えてやって、退かないようにしてやりたいものだ。お前たちのように、そうむごいことをいうものではない。いったい、人が自分の身を清くしようと思って一歩前進して来たら、その清くしようとする気持を汲んでやればいいので、過去のことをいつまでも気にする必要はないのだ。」
○ 本章については異説が多いが、孔子の言葉の真意を動かすほどのものではないので、一々述べない。

九之八

九之八
子曰、「吾有知乎哉。無知也。有鄙夫問於我、空空如也、我扣其兩端而竭焉。」

いはく、われることあらむや、ることきなり。鄙夫ひふありわれふ、空空如くうくうじよたり、われ兩端りやうたんたたいてしかうしてつくす。
七(二一二)
 先師がいわれた。
「私が何を知っていよう。何も知ってはいないのだ。だが、もし、田舎の無知な人が私に物をたずねることがあるとして、それが本気で誠実でさえあれば、私は、物事の両端をたたいて徹底的に教えてやりたいと思う。」
○ 両端==首尾、本末、上下、大小、軽重、精粗、等々を意味するが、要するに委曲をつくし、懇切丁寧に教えるということを形容して「両端をたたく」といつたのである。


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