原文・書き下し文の前の数字と現代語訳の前の数字が異なるため違うこともあるが、原文・書き下し文に対応する現代語訳をすぐ下に載せている。引用文は緑の点線で囲っている。
2023年2月1日 椿 耕太郎
人からの評価についていくつか書かれている。人からの評価を気にするのではなく、自分の指針や大事にしている基準をしっかりさせて、自分の基準に沿って行動を確実に進めることが重要であるとしている。すぐには評価されないが、長い一生で人の役に立つことをしていれば死ぬまでには評価されるはずである。
一之十六、四之十四、十四之三二、十五之十八で、人からの評価を気にするよりも自分の能力をつけることを重視し、人からの評価は気にしないとしている。
一之十六
子曰、「不患人之不己知、患不知人也。」
子曰く、人の己を知らざるを患へず、人を知らざるを患ふ。
一六(一六)
先師がいわれた。――
「人が自分を知ってくれないということは少しも心配なことではない。自分が人を知らないということが心配なのだ。」
四之十四
子曰、「不患無位、患所以立。不患莫己知、求爲可知也。」
子曰く、位無きを患へず、立つ所以を患へよ。己を知ること莫きを患へず、知らるべきを爲すを求めよ。
一四(八〇)
先師がいわれた。――
「地位のないのを心配するより、自分にそれだけの資格があるかどうかを心配するがいい。また、自分が世間に認められないのを気にやむより、認められるだけの価値のある人間になるように努力するがいい。」
十四之三二
子曰、「不患人之不己知、患其不能也。」
子曰く、人の己を知らざるを患へず、其の不能なるを患ふ。
三二(三六四)
先師がいわれた。――
「人が自分を認めてくれないのを気にかけることはない。自分にそれだけの能力がないのを気にかけるがいい。」
十五之十八
子曰、「君子病無能焉、不病人之不己知也。」
子曰く、君子は能くすること無きを病ふ、人の己を知らざるを病へず。
一八(三九七)
先師がいわれた。――
「君子は自分に能力のないのを苦にする。しかし、人が自分を知ってくれないのを苦にしないものだ。」
二之十八では、人からの評価ではなく実力をつける、の方法が具体的に書かれている。禄を人からの評価(地位や名誉)と考えれば、地位や名誉を求めるために焦るのではなく、言行を慎重に後悔のないようにすれば、自然とついてくるものである、ということだろう。
二之十八
子張學干祿。子曰、「多聞闕疑、慎言其餘、則寡尤。多見闕殆、慎行其餘、則寡悔。言寡尤、行寡悔、祿在其中矣。」
子張、祿を干むることを學ぶ。子曰く、多く聞きて疑はしきを闕き、愼みて其の餘を言へば、則ち尤寡し。多く見て殆きを闕き、愼みて其の餘を行へば、則ち悔寡し。言尤寡く、行悔寡ければ、祿其の中に在り。
一八(三四)
子張 は求職の方法を知りたがっていた。先師はこれをさとしていわれた。――
「なるだけ多く聞くがいい。そして、疑わしいことをさけて、用心深くたしかなことだけを言つておれば、非難されることが少い。なるだけ多く見るがいい。そして、あぶないと思うことをさけて、自信のあることだけを用心深く実行しておれば、後悔することが少い。非難されることが少く、後悔することが少ければ、自然に就職の道はひらけて来るものだ。」
○ 子張==孔子の門人。姓は「端のつくり+頁」、第3水準1-93-93、孫(せんそん)、名は師(し)、子張はその字。
人からの評価を気にしない、というのは自分の基準がしっかりしていないと難しい。自分に能力がちゃんとついているのか、正しい能力をつけられているのか。二之四の「四十にして迷わず」はこの基準がしっかりして、進む方向を迷わなくなった、ということだろうか。十四之三七では天が知っているとしている。これも自分の基準があれば天は知っているのだから迷うことはないと言うことか。
二之四
子曰、「吾十有五而志於學。三十而立。四十而不惑。五十而知天命。六十而耳順。七十而從心所欲、不踰矩。」
子曰く、吾十有五にして學に志す、三十にして立つ、四十にして惑はず、五十にして天命を知る、六十にして耳順ふ、七十にして心の欲むる所に從ひ、矩を踰えず。
四(二〇)
先師がいわれた。――
「私は十五歳で学問に志した。三十歳で自分の精神的立脚点を定めた。四十歳で方向に迷わなくなつた。五十歳で天から授かった使命を悟った。六十歳で自然に真理をうけ容れることが出来るようになつた。そして七十歳になってはじめて、自分の意のままに行動しても決して道徳的法則にそむかなくなった。」
○ 耳順(原文)==耳が真理に順うというので、何の無理もなく、真理を理解するの意。
○ 本章は孔子一生の向上の道程を端的に表現したものとして有名な言葉である。
○ 原文の「而立」「不惑」「知命」「耳順」は、それぞれ、三十歳、四十歳、五十歳、六十歳の年の形容として日本でも一般に使用されている。例えば「齢不惑に達した」という如きがそれである。
十四之三七
子曰、「莫我知也夫。」子貢曰、「何爲其莫知子也。」子曰、「不怨天、不尤人、下學而上達、知我者、其天乎。」
子曰く、我を知ること莫きかな、子貢曰く、何すれぞ其れ子を知ること莫きや。子曰く、天を怨まず、人を尤めず。下學して上達す。我を知る者は其れ天か。
三七(三六九)
先師が歎息していわれた。――
「ああ、とうとう私は人に知られないで世を終りそうだ。」
子貢がおどろいていった。――
「どうして先生のような大徳の方が世に知られないというようなことが、あり得ましょう。」
すると先師は、しばらく沈默したあとでいわれた。――
「私は天を怨もうとも、人をとがめようとも思わぬ。私はただ自分の信ずるところに従って、低いところから学びはじめ、一歩一歩と高いところにのぼって来たのだ。私の心は天だけが知っている。」
○ これは孔子が七十歳をこしてからの言葉だろうといわれている。ここに「人に知られない」というのは、諸侯のうち一人として真に自分を信任して存分に政治をやらしてくれるものがなく、ついに古聖の道を実現することが出来なかつた、という意味である。
○ 子貢の言葉は、「どういうわけで先生を知らないのでしようか」という疑問の意味に解する人もあるが、私は、おどろきと慰めとをふくめた否定的な意味、即ち「そんなことはありません」という意味に解するのが、自然であると思う。
○ 最後の孔子の言葉は、おそらく老境に入つた孔子のいつわらない心境であろうが、いかにも深く、高く、且つさびしい。しかも徹底してこつこつと地上を歩いたものの声である。
人からの評価を求める必要はないが、四之二五では徳のある行動をしていれば近くに居る人は評価してくれるとしている。また、十五之十九では死んだ後には評価をされた方がよい、ととれる。ものごとを進めている時には評価を気にすることはないが、人生が終わった後に積み重ねたものは評価されるだろう、と言うことだろうか。
四之二五
子曰、「德不孤、必有鄰。」
子曰く、德孤ならず、必ず鄰あり。
二五(九一)
先師がいわれた。――
「徳というものは孤立するものではない。必ず隣が出来るものだ。」
十五之十九
子曰、「君子疾沒世而名不稱焉。」
子曰く、君子は世を没して名稱せられざるを疾む。
一九(三九八)
先師がいわれた。――
「君子といえども、死後になっても自分の名がたたえられないのは苦痛である。」
○ 原文「没世」は「世を終るまで」と解する説と、「世を終つたあと」と解する説とがある。私は後者に従つたが、いずれでもいいであろう。孔子のいわんとするところは、名を求むるのはよくないが、一生何の為すところもなく、従つて何等世に称せられることもないような醉生夢死の人間では困る、というにあるであろう。ほぼ同じような意味の言葉が二二七章にもある。