論語

原文・書き下し文の前の数字と現代語訳の前の数字が異なるため違うこともあるが、原文・書き下し文に対応する現代語訳をすぐ下に載せている。引用文は緑の点線で囲っている。



貧しさと豊かさ

2023年5月15日 椿 耕太郎

現在は金銭的に豊かになること、お金を儲けることが全ての目標であるかのような人たちが多いが、論語では金銭的に豊かになることを目的とすることをよしとはしていない。豊かになること、お金を貯めることを否定しているわけではないが、豊かになって不遜になることや、不義でお金を貯めることについては良くないとしている。 豊かさを追い求めるよりは、貧しくても学問を追い求め生活を楽しめることがよい。 ただ最低限の見た目と立ち振舞、礼儀は大事である。



金銭的な豊かさを求めるよりは、貧しさを楽しめる方が良い。しかし、お金を貯めることが悪いとはいっていない。

十一之十八

十一之十八
子曰、「回也其庶乎、屢空。賜不受命、而貨殖焉。億則屢中。」

いはく、くわいちかいかな、屢〻しばしばむなし、めいけずして貨殖くわしよくす、おもんばかればすなは屢〻しばしばあたる。
一八(二七一)
 先師がいわれた。――
「囘の境地は先ず理想に近いだろう。財布が空になることはしばしばだが、いつも天命に安んじ、道を楽しんでいる。はまだ天命に安んじないで、財を作るのにかなり骨を折っているようだ。しかし、判断は正しいし、考えさえすれば、道にはずれるようなことはめったにないだろう。」
○ 顔囘と子貢とを対比した孔子の人物評は前にもあつたが。端的に全貌をつくしたものとしては、この一章を推すべきであろう。

お金を貯めることも道理にかなっていれば悪いことではない。 さらには国に道があるときには貧しくては恥だとも言っている。

八之十三

八之十三
子曰、「篤信好學、守死善道。危邦不入、亂邦不居。天下有道則見、無道則隱。邦有道、貧且賤焉、恥也。邦無道、富且貴焉、恥也。」

いはく、あつしんじてがくこのみ、まもりてみちくす。危邦きはうにはらず、亂邦らんはうにはらず、天下てんかみちあればすなはあらはし、天下てんかみちなければすなはかくす。くにみちあるとき、まづしくいやしきははぢなり、くにみちなきとき、たつときははぢなり。
一三(一九七)
 先師がいわれた。――
「篤く信じて学問を愛せよ。生死をかけて道を育てよ。乱れるきざしのある国には入らぬがよい。すでに乱れた国には止まらぬがよい。天下に道が行われている時には、出でて働け。道がすたれている時には、退いて身を守れ。国に道が行われていて、貧賎であるのは恥だ。国に道が行われないで、富貴であるのも恥だ。」


次の二つでは、富や貧しさについての捉え方がわかる。

富は不義をしてまで得るものではない。 贅沢をすることが幸せではないし、自分が納得できることが幸せである。納得できない形で手に入れた富と名誉は結局上手くいかない、浮雲のようなものだ。 また、貧しさは心配することではない。道を修めていれば、お金は誰かが助けてくれる。

七之十五

七之十五

子曰、「飯疏食、飮水、曲肱而枕之、樂亦在其中矣。不義而富且貴、於我如浮雲。」

いはく、疏食そしくらひ、みづみ、ひぢげてこれまくらとす、たのしみまたうちり。不義ふぎにしてたつときは、われおい浮雲ふうんごとし。
一五(一六二)
 先師がいわれた。――
「玄米飯を冷水でかきこみ、ひじを枕にして寝るような貧しい境涯でも、その中に楽みはあるものだ。不義によって得た富や位は、私にとっては浮雲のようなものだ。」

十五之三一

十五之三一

子曰、「君子謀道不謀食。耕也、餒在其中矣。學也、祿在其中矣。君子憂道不憂貧。」

いはく、君子くんしみちはかりて、しよくはからず。たがやすやうゑうちり、まなぶや祿ろくうちり。君子くんしみちうれへて、まづしきをうれへず。
三一(四一〇)
 先師がいわれた。
「君子が学問をするのは道のためであって食うためではない。食うことを目的として田を耕す人でも、時には饑えることもあるし、食うことを目的としないで学問をしていても、祿がおのずからそれに伴って来ることもある。とにかく、君子にとっては、食うことは問題ではない。君子はただ道の修まらないのを憂えて、決して食の乏しきを憂えないのだ。」


豊かな状況と貧しい状況、それぞれの比較も述べられている。

下の二つを合わせると、贅沢で不遜な人間は問題外で、豊かであるなら驕らないようになりなさい。貧しくて怨みがましくならないことは難しいが、貧しくて倹約するケチになる方が、贅沢で不遜な人間よりはよほどよい。 必ずしも質素であることが良いと考えている訳ではない。

七之三五

七之三五
子曰、「奢則不孫、儉則固。與其不孫也、甯固。」

いはく、おごるときはすなは不孫ふそんなり、けんなるときはすなはなり。不孫ふそんならんよりは、むしなれと。
三五(一八二)
 先師がいわれた。――
「ぜいたくな人は不遜になりがちだし、儉約な人は窮屈になりがちだが、どちらを選ぶかというと、不遜であるよりは、まだしも窮屈な方がいい。」

十四之十一

十四之十一
子曰、「貧而無怨、難。富而無驕、易。」

いはく、まづしうしてうらむことからしむるはかたし、みておごることからしむるはやすし。
一一(三四三)
 先師がいわれた。――
「貧乏でも怨みがましくならないということは、めったな人に出来ることではない。それに比べると、富んでおごらないということはたやすいことだ。」
○ そのたやすいことが門人たちになかなか出来ないので、孔子はこの言を発したのであろう。こういう言葉を単なる難易の比較だと見て、甲論乙駁するようでは論語は死ぬ。


貧しい生活を楽しむことを賢者といっている。 簡素なところで充足した生活をおくり、それを楽しむ、禅の考え方のようだ。

楽しむことが一番というのは論語-楽しむにあげた六之十八にあるとおりである。

六之九

六之九
子曰、「賢哉回也。一簞食、一瓢飮、在陋巷、人不堪其憂、回也不改其樂。賢哉回也。」

いはく、けんなるかなくわいや。一たん、一ぺういん陋巷ろうかうり。ひとうれひへず、くわいたのしみあらためず。けんなるかなくわいや。
九(一二八)
 先師がいわれた。――
かいは何という賢者だろう。一膳飯に一杯酒で、裏店うらだな住居といったような生活をしておれば、たいていの人は取りみだしてしまうところだが、囘は一向平気で、ただ道を楽み、道にひたりきっている。囘は何という賢者だろう。」


豪華な服装や豪華な住まいが君子に必要なものではないが、見た目を全く考えなくても良いわけではなく、礼儀など立ち振る舞いは学問や人間性と同様に重要である。 文とは立ち振る舞いなども含めた、人からの見られ方で、総合的に中身と外見の釣り合いが大事である。

六之十六

六之十六
子曰、「質勝文則野、文勝質則史。文質彬彬、然後君子。」

いはく、しつぶんてばすなはなり、ぶんしつてばすなはなり、文質ぶんしつ彬彬ひんぴんとして、しかのち君子くんしなり。
一六(一三五)
 先師がいわれた。――
「質がよくてもあやがなければ一個の野人に過ぎないし、あやは十分でも、質がわるければ、気のきいた事務家以上にはなれない。文と質とがしっかり一つの人格の中に溶けあった人を君子というのだ。」
○ 質==本質。人格の基底をなすもの。徳性。
○ 文==外のかざり、磨き。知識、技能、礼儀作法、等々。

次で虎や豹の皮、犬や羊の皮で違う、としているから、服装などの見た目にもある程度は整えなくてはいけないのだろう。見た目も整っていた方が他の人には受け入れてもらいやすい。下の例では身分のある人についてであるようなので、特に、であろう。

十二之八

十二之八
棘子成曰、「君子質而已矣、何以文爲。」子貢曰、「惜乎、夫子之說、君子也、駟不及舌。文猶質也、質猶文也。虎豹之鞹、猶犬羊之鞹。」

棘子成きよくしせいいはく、君子くんししつのみ、なんぶんもつさむ。子貢しこういはく、をしいかな、夫子ふうし君子くんしくや、したおよばず、ぶんしつのごときなり、しつぶんのごときなり、虎豹こへうくわく犬羊けんやうくわくのごとし。
八(二八六)
 衛の大夫棘子成きょくしせいがいった。――
「君子は精神的、本質的にすぐれておれば、それでいいので、外面的、形式的な磨きなどは、どうでもいいことだ。」
 すると子貢がいった。
「あなたの君子論には、遺憾ながら、ご同意出来ません。あなたのような地位の方が、そういうことを仰しゃっては、取りかえしがつかないことになりますから、ご注意をお願いいたします。いったい本質と外形とは決して別々のものではなく、外形はやがて本質であり、本質はやがて外形なのであります。早い話が、虎や豹の皮が虎や豹の皮として価値あるためには、その美しい毛がなければならないのでありまして、もしその毛をぬき去って皮だけにしましたら、犬や羊の皮とほとんどえらぶところはありますまい。君子もその通りであります。」
○ 原文「駟不及舌」は「駟も舌に及ばず」という文語訳で有名である。駟は四頭立の馬車で、速力がはやいが、その速い馬車で追いかけても失言は取消せないの意。
○ 參照一三五章「文質彬々」。


しかし、次のように服については悪衣でも恥じるべきではない、としているから、着るものにどうしてもこだわらなければならないということではないし、着ているもののような物質的なものだけではないのだろう。

また三之四にあるように、振る舞いも大事だけど、過剰ではいけない。

四之九

四之九
子曰、「士志於道、而恥惡衣惡食者、未足與議也。」

いはく、みちこころざして、惡衣あくい惡食あくしよくづるものは、いまともかたるにらざるなり。
九(七五)
 先師がいわれた。――
「いやしくも道に志すものが、粗衣粗食を恥じるようでは、話相手とするに足りない。」

三之四

三之四
林放問禮之本。子曰、「大哉問。禮、與其奢也、寧儉。喪、與其易也、寧戚。」

林放りんはうれいもとふ。いはく、だいなるかなとひれいおごらんよりはむしけんせよ。をさまらんよりはむしいためよ。
四(四四)
 林放りんぽうが礼の根本義をたずねた。先師がこたえられた。――
「大事な質問だ。吉礼は、ぜいたくに金をかけるよりも、つまし過ぎる方がいい。凶礼は手落がないことよりも、深い悲みの情があらわれている方がよい。」
○ 林放  魯の人、字は子丘(しきゆう)。孔子の門人らしいが、不確実である。


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